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藍色の夢をみた日

「 君の声だけがどんな雨もよけてくれたんだ 」

はじまり

 

わたしは「書く事」が苦手だった。
読書は好きだったけれど「読書感想文」は苦手だった。
自分の思ったことはたくさんあっても、それをどうやって文章にしたらいいか考えるのが苦手で、日記も続かなかった。

 

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そんな私が「ほぼ日手帳」を続けて書いている。(もちろんほぼ日なので毎日ではないけれど)

きっかけは、好きな人がほぼ日手帳を毎日書いていたから。たったそれだけの理由。「すきなひとのすきなものはすき」 2回目のデートの日、一緒にほぼ日手帳を買いに行った。

なにかドラマチックな運命的な出会いがあったわけではない。ただ「すきなひとのすき」を好きになって一緒に共有したかった。
その「すき」の理由を知りたかった。それが、わたしの「ほぼ日手帳」や各種ノートとの出会い。はじまり。

もうそのすきなひとは残念ながらわたしの隣にはいないけれど、彼のほぼ日手帳の中身は興味深くて、いつも見せ合ったり読み合ったりするのが楽しかった。(私は殆ど見せたことはないのだけれど)
考えたことや、思っていることがそのままそのノートには映し出されていて読むだけでその人の今の興味関心がどのあたりにあるのか。
どの方向を向いているのか、手に取ってわかるようだったのが面白かったのを覚えている。


2011年あたりだろうか、わたしもほぼ日手帳を書くようになって毎日、いろいろなことを綴るようになった。

悲しいことがあった日は真っ黒のペンで黙々と書き連ねる。

嬉しいことがあった日はカラフルに丁寧な字で書いてある。読み返すだけで、その日のことを思い返すような「匂い」が閉じ込められた自分の丸文字がやけにリアルでドキドキするのだ。「書く事」と同じくらい「読み返す」ことが楽しかった。

 

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当時は字を綺麗に書く、という意気込みが感じられないライブレポ。

 

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落書きみたいなメモみたいなそんな日もある。

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写真を貼った日もあれば

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セトリを書いただけの日もある。


日記ってその日にあったことをただひたすら書くだけじゃなくてもいいんだと分かってからはその日に買ったものが書いてあるくしゃくしゃのレシート、よくわからない落書きをしたメモ、一緒に行ったお店のカード。
お気に入りの洋服のタグ、CDの帯。・・・それらをひたすら貼り付けて、日々思ったことや考えたことを書くようになった。

この「自由さ」に気づいたことがなにもかもの「はじまり」だったのだな、と今思い返すと笑ってしまいそうになる。
我ながら、夢見る少女である。すきなひとのすき、の真似をしていただけだったのだけれど当時の自分は大真面目に毎日ページを埋めていた。

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ひたすら貼り付けただけのモノたちが、ひたすら書き続けた1ページがわたしの人生を振り返る時に「そのとき何を考えていたのか」をありありと証明してくれるもののひとつになってくれるのだ。

そんな素敵なものになるだなんて、思わなかった。読み返すだけで、あの頃の空気を思い出すアルバムのような一冊にいつの間にかなっていた。

だからわたしは「書く事」をやめられないし、辞めたくないのだと思う。

いった場所、考えたこと、思ったこと、見たこと、聴いたこと。すべてを真空パックする道具。ひとはすぐに忘れてしまうから、だからこそ覚えていたい。わすれたくないから、わたしは「書く」

誰のためでもなく、わたしのために「書く」

いつかの私が、昔の私の言葉に救われるかもしれない。くすっと笑ってバカみたいだなぁって笑ってくれたらそれでいい。ほろ、っと泣いて頑張ろうって思えたらそれでいい。大事な人の言葉を忘れないように書き残して、いつの日かの自分のお守りにしたい。ただそれだけの想いでわたしはライブの感想から、日常まで全てを「書く」

誰に見せるでもなく、自分のために「いま」を書き残す。

 

わたしの書く、のはじまりは「すきなひとのすき」を真似た淡い恋心。いつかそのページも笑って読み返すことができるようにそっと箪笥の中に思い出とともに閉じ込めた。